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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)2939号 判決 1983年9月09日

原告

佐藤竜雄

被告

右代表者法務大臣

秦野章

右指定代理人

江藤正也

外五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立

一  原告

被告は、原告に対し、金一〇〇万円を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨

原告の勝訴を条件として担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者双方の主張

一  請求原因

1  原告の長男亮(当時二〇才)は、学校法人武蔵工業大学経営学科に在学していたが、昭和五四年三月一二日、国定公園愛媛県石鎚山において、その所属していたワンダーフォーゲル部のクラブ活動としての冬山登山中、一五〇メートルの氷壁をトラバースしようとして滑落死した。

2  愛媛県地方は、その数日前から、気象条件が特に悪化しており、氷壁のトラバースには高度の登山技術を必要としていたが、引卒者である上級生は、亮の冬山登山未経験・装備不十分・トラバース未経験を知り得たのに、大学当局の設定した集中登山のスケジュール強行完遂にはやるあまり右の点を看過し、細心の注意と指導監督を怠つた結果、本件事故を惹起したものである。

3  教育基本法二条は、大学におけるクラブ活動が教育活動の一環として含まれることを示しているから、大学における体育クラブ活動も正規の教育活動である。

教育基本法一〇条二項、学校教育法五二条も、社会通念上、大学生のクラブ活動参加を義務づけている。

武蔵工業大学ワンダーフォーゲル部においても、部員の自由な脱退は認められなかつた。

それゆえ、武蔵工業大学にはクラブ活動に対する指導及び安全管理の義務があるのに、同大学にはワンダーフォーゲル活動に関して安全基準が無かつたに等しく、同大学が右義務を怠つて本件計画に対する安全管理を欠除したことが本件事故の一因をなしている。

4  教育は国の事業であつて、私立学校は国が行うべき事業を国に代わつて行うものである。教育基本法六条一項は、「法律にきめる学校は公の性質をもつものである」と明記しているが、その趣旨は、教育を受ける権利はすべての国民にとつて不可侵の憲法上の権利として保証され、それを具体化するための学校教育は国民全体のものであり、それゆえ学校教育は公の性質をもつというのである。

そして、武蔵工業大学に対する行政上の監督権を有する国は、ワンダーフォーゲル活動についての安全基準を設けるべきであるが、文部省は文部省通知「冬山登山事故防止について」及び「連休登山の事故防止について」を毎年行つているだけで、通り一遍的であり、体育クラブ活動の安全管理に関する基本的かつ統一的な基準を設定していない。

これは当該職責を有する公務員の文部省組織令三二条一項五号に定める「スポーツ事故防止に関し援助と助言を与えること」なる職務の懈怠であり、違法な行為である。

また、この年度の通知「冬山登山の事故防止について」は昭和五二年一二月一二日文体ス第一五六号で出されており、武蔵工業大学へは同月一五日に到達したが、すでに冬期休暇入りしたあとであり、冬期合宿に出発したワンダーフォーゲル部については役に立たなかつた。これは右通知を適切な時期に発しなかつたという職務懈怠である。

5  本件事故の一つの因子に気象条件の把握ができなかつたことがある。数日間の悪天候が続いたところを強行登山した武蔵工業大学ワンダーフォーゲル部がビバーク中、携帯用ラジオによつては電波障害により気象情報の聴取ができなかつたため、登山を強行して本件事故が発生した。

石鎚山は国定公園区域内にあるが、自然公園法二四条一項二号は国定公園内でラジオが普通の状態で聴取できることを前提としており、ラジオが聴取できることは同法一条の目的にある国定公園利用上国民の保健に資することについての不可欠な条件である。

したがつて、国定公園石鎚山の利用者がラジオを聴取できなかつたことは自然公園法二条の二に違反し、同公園の管理設備に瑕疵があつたものであるから、国は本件事故について責任を免れない。

6  原告(当時四七才)は、妻吉美(当時四七才)との亮との三人家族であり、長男亮の将来に期待して、生活費を切りつめ、ひたすら亮の将来を中心とした生活を送つてきたが、亮の死亡により将来への希望は破壊され、はかり知れない精神的打撃を受けた。

この損害の慰藉料は一〇〇万円が相当である。

7  よつて、被告に対し、国家賠償法一条一項、教育基本法一〇条二項、学校教育法五二条一項、民法七一一条に基づき、一〇〇万円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、佐藤亮が武蔵工業大学に在学し、ワンダーフォーゲル部のクラブ活動に参加中、昭和五四年三月一二日死亡したことはいずれも認めるが、その余は知らない。

2  同2は知らない。

3  同3につき、大学における課外活動は、学校教育法、大学設置基準等の法令上、なんらの定めがなく、大学教育課程の中に位置づけられていないものであり、大学が行う正課の教育の一環として実施されるものではない。

4  同4につき、国(文部省)が監督庁として大学に関して有する権限は、

(ア) 大学の設置に関する基準を定めること(学校教育法三条、一〇六条一項等)

(イ) 大学の運営に関して指導と助言を与えること(文部省設置法五条一項一八号)

(ウ) 大学の研究活動について連絡し、及び援助すること(同法五条一項二三号)

(エ) 大学に対し、報告書、資料等の提出を求めること(同法五条一項三一号)

などにとどまり、その権限の行使に当たつて、法律に別段の定めがある場合を除いては、行政上及び運営上の監督を行わないこととされており(同法五条二項)、その権限は、指導監督権と異なり法的拘束力を伴わない。学生の厚生補導の面については、国(文部省)は、大学に対し援助と助言を行いうるにとどまり、指導監督等の強制力を伴う行政権限を行使することはできない(同法九条八号)。

被告(文部省)は、大学生の課外活動に対する大学の援助等は厚生補導業務の一環であることから、大学に対し、当該業務の実施につき援助と助言を行い(文部省組織令一九条一号ロ)、また課外活動がスポーツである場合には、その事故防止や野外活動の普及奨励に関しても援助と助言を与える(同令三二条五号・六号)。

文部省は、警察庁等の関係各省庁、山岳所在県、社団法人日本山岳協会等とともに山岳遭難対策中央協議会の構成員になつているものであるが、同協議会では、山岳事故・遭難を防止するため、毎年「冬山登山の警告」及び「連休登山の警告」を作成し、これらの警告を国公私立大学長等各方面に文部省体育局長をもつて通知し、登山者に対し周知徹底を図つているが、これは右の「スポーツ事故の防止に関し、援助と助言を与えること」という所掌事務の一環として行つているものであつて、なんらの法的拘束力を伴わず、被告(文部省)には右援助と助言以上の措置を講ずべき権限も法的義務もない。

5  同6については、知らない。

第三  証拠<省略>

理由

一<証拠>によれば、亡佐藤亮(当時二〇才)は、当時、私立武蔵工業大学工学部経営学科一年に在学していたが、同大学ワンダーフォーゲル部の一行四人と昭和五四年三月八日から四国石鎚山(海抜一九八二メートル)に登り、同月一二日、山頂近くの二の鎖から土小屋方面に向かう途中、二の鎖東方一五〇メートルの氷結した急傾斜の雪面をトラバース中、誤つて足を滑らせて約三〇〇メートル下の岩場まで滑り落ち、頭や顔を強打して間もなく死亡したこと、亡亮の右登山は当時同人が所属していた武蔵工業大学ワンダーフォーゲル部のクラブ活動としての行事であつたことが認められる。

二原告は、私立大学生の体育クラブ活動が正規の教育課程の一部であることを前提として、国には私立大学におけるワンダーフォーゲル部の活動についての安全基準を設定し、大学をしてこれを遵守させ、クラブ活動によつて発生すべき事故を予防する義務があつたのに、その職務を担当する文部省の関係部局の国家公務員がこれを怠つたという違法行為により本件事故が発生したものであるから、国は国家賠償法一条の責任を免れないと主張するので、この点について検討する。

1  国家賠償法一条にいう「職務を行うについて」には作為のほか不作為の場合も含まれることはいうまでもないが、国の機関である公務員がその職務上の作為義務に違反し私人に損害を与えたとして国が損害賠償責任を負うためには、

(ア)  法令上、当該公務員にその損害発生防止に役立つ一定の行為をする権限が存在すること

(イ)  当該公務員がその損害発生防止に役立つ一定の行為をすることが法令上具体的基準のもとに義務づけられていること、又は、法令上、具体的な基準のもとに義務づけられてはいないまでも、当該公務員に職務権限規定上少くとも損害発生防止に役立つ何らかの行為をする抽象的一般的な義務があり、当該公務員の職務上損害発生の危険を予見しその防止策を認識することが可能で、具体的な事情のもとで当該公務員に損害発生防止に役立つ一定の措置をとる具体的な作為義務が社会通念上肯定されること

(ウ)  当該公務員が右作為義務を履行したならば当該損害の発生が防止できたこと(相当因果関係の存在)が最低限必要である。

2  教育は、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を目的として行うものであつて(教育基本法一条)、大学生の体育クラブ活動は教育の目的に適うものであるが、教育基本法は、かつてわが国で行われた教育の国家統制によつて生じた弊害に対する反省のうえに立ち、教育と教育行政とを分離し、教育の目的を遂行するに必要な諸教育条件の整備確立のみを教育行政機関の責務として(同法一〇条二項)、教育の場における教育内容についての行政機関の支配介入を排している。

このような基本的立場から、法令上、国(文部省又はその長としての文部大臣)は、監督庁として、私立大学に関して、

(ア)  大学の設置について設備、編制その他に関する基準を定め(学校教育法三条、一〇六条一項)

(イ)  大学の設置を認可し(同法四条)

(ウ)  大学の閉鎖を命じ(同法一三条)

(エ)  大学に対し、その運営に関して指導と助言を与え(文部省設置法五条一項一八号)

(オ)  大学の研究活動について連絡し、及び援助をし(同法五条一項二三号)

(カ)  大学に対し、報告書、資料等の提出を求め(同法五条一項三一号)

(キ)  学生に対する懲戒について定め(学校教育法一一条)

(ク)  その他、法律に基づき文部省に属させられた権限を行使する(文部省設置法五条一項三二号)

ことができるが、その権限を行使するに当たり、法律に別段の定めがある場合を除いては、行政上及び運営上の監督権を行わない(同法五条二項)こととされており、右に除外される場合を除き、その権限の行使は法的拘束力を伴わない。

そして、大学生の課外クラブ活動については、法令上の定めがなく、大学教育課程の中に位置づけられていないものであり、私立大学の学生と私立大学を設置運営する学校法人との間の在学契約において体育クラブの活動がどのように位置づけられているにせよ、学生の体育クラブに所属しての活動は、法令上、学生の自発的意思に基づく私的活動であつて、監督庁の大学に対する指揮監督権の外にあるものである。もつとも、大学生の課外クラブ活動は、大学にとつて厚生補導の対象となるから、法令上、監督庁は、大学に対し、学生の課外クラブ活動を対象とする厚生補導業務の実施についても援助と助言を与えることができ(文部省設置法九条八号)、また課外活動がスポーツである場合には、学校安全の向上又は事故防止に関しても大学に対し指導、助言及び援助を与えることができる(同法一一条一号、文部省組織令三二条五号)のであるが、監督庁によるこれらの権限の行使は、前述のとおり、法的拘束力を伴うものではない。

3  右にみるとおり、監督庁は、私立大学のワンダーフォーゲル部の活動に関しても援助と助言を行う権限を有してはいるものの、大学に対し部活動による危険防止のための具体的方策を指揮命令する権限もなければ、前記1(イ)前段の具体的作為義務を負うものでもなく、また、ワンダーフォーゲル部の冬季の登山活動から生ずる危険の如きは、何人にも容易に予見が可能であるとともに、その防止策も常識の範囲に属するものであつて、公務員の職務上の特別の知識経験によらなければ知り得ないものではなく、監督庁が事故発生防止に役立つ具体的基準を策定して大学に通知することが社会一般の期待するところであるともいえないから、前記1(イ)後段の具体的作為義務があるともいうことができない。

のみならず、監督庁が大学の学生に対する(課外活動についての)厚生補導業務に関して前述の援助と助言を行つたとしても、大学にはこれに従う義務はないのであるし、大学は右援助と助言をまたずともワンダーフォーゲル部の冬季の登山活動による危険の防止策を講ずることは容易であつたから、監督庁が私立大学のワンダーフォーゲル部の冬季登山活動による危険防止に関して具体的な基準を策定し、かつこれを大学に通知することを仮にしなかつたとしても、そのことと本件事故との間に相当因果関係はないものといわなければならない。

三原告は、また、国定公園である石鎚山において、悪天候による電波障害のため携帯用ラジオによつては気象情報を把握できなかつたことが本件事故の一因であるところ、国定公園の利用者にラジオが聴取できなかつたことは同公園の管理設備に瑕疵があつたものであり、国は本件事故による損害につき国家賠償法上の責任を免れないと主張する。

しかしながら、自然公園法によれば、自然公園(国定公園は、国立公園などとともに自然公園に含まれ、環境庁長官によつて指定される。)は、すぐれた自然の風景を保護するとともに、その利用の増進を図り、もつて国民の健康、休養及び教化に資する目的で設置され(同法一条)、国その他の行政主体や自然公園の利用者は、自然環境保全の基本理念にのつとり、すぐれた自然の風景地の保護とその適正な利用が図られるように努めるべきものとされ(同法二条)、国定公園の特別地域においては、何人も、拡声機、ラジオ等により著しく騒音を発することは禁じられているのであつて(同法二四条一項二号)、原告は石鎚山のいかなる場所にいかなる設備をして利用者にラジオの聴取を可能ならしめるべきであつたというのかが明らかではないものの、国定公園内においてラジオによる気象情報が聴取できる設備を設けることは、自然環境保全の理念に反し、自然公園法の目的に反するものといわなければならない。

したがつて、石鎚山の管理設備に瑕疵があつたとする原告の右主張は理由がない。

四以上によれば、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(稲守孝夫)

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